(4)東日本大震災の爪痕が残る宮古釜石線バス旅 秋田→一ノ関 【'18年東北旅3日目】
▲秋田駅前よりおそようございます。
'18年東北旅3日目、秋田駅からの出発です。
まずは秋田から田沢湖線直通の普通列車で盛岡まで向かいます(北東パスじゃない……??)。
▲秋田駅12番線
……あれ、新幹線ホーム??
秋田 8:11 発 秋田新幹線こまち12号 東京行き
▲おやすみびちゅー
……ということで。
新幹線課金です。
理由は、「おそようございます」の文字通り。
5:54発の列車に乗り8:25盛岡着の予定でした。これを逃すと(田沢湖線の絶望的な本数により)、次の宮古方面への接続はできず、今日の計画が白紙になります。
そして見事「6:30頃」に起床、、。。
30秒ほど絶望を味わった後、考えに考えてシンカンセンに課金することにしたのです。
にしても4,100円は高すぎる。。痛すぎる。。
こんな痛い思いをしたらもう寝坊することはないはず(🚩
▲車内の様子。大曲までは逆向きに走る(列車は画像手前側に進んでいる)。
秋田の次の駅、大曲でスイッチバックを行います。
それを見越して、秋田は進行方向逆向きに座席がセットされています。
なかなか珍しい体験。富士急のええじゃないかが頂上まで登るときと同じだ(伝わらない例えはやめなさい)。
▲「ただ今 大曲」
大曲にてかなりの乗車。
座席未指定券のため、駅に着くたびに座席を移動することになるのは大変ですね。
▲田沢湖線の車窓
新幹線は「200 km/h以上で走る列車」と定義されているので正確には新幹線ではないそう(盛岡以南の東北新幹線内を走る時のみ新幹線になります)。
田沢湖線内の最高速度は130 km/hです。→十分速い
「特別急行こまち号」というわけですね。
新幹線の列車と普通列車の線路の幅(軌幅)は異なるので(新幹線の方が広い)、どちらの幅の列車でも走れるよう線路は3本敷かれています。
また、新幹線と普通列車で最高速度の制限も異なるようです。(95,105,120の3つの表記が見られますね。
▲立席に着席
角館に到着後、窓側の席はすべて埋まってしまい。
景色を見たかった私は「立席」という、景色を見ることだけに関してはこれ以上ない素晴らしい座席に着席することができました。
デッキという立席は本当に快適で、周りには誰もいないし車窓はかぶりつけるし、もう最高‼︎
車掌さんが通った時に(当然)声をかけられましたが、ドヤ顔で「タチセキトッキュウケン」を見せると羨ましそうに私を見ていましたね(なわけ。
▲デッキからの絶景
そんな素晴らしい座席だからこそ撮影できた絶景。
秋田の渓谷と新幹線こまち。
▲盛岡駅11番線新幹線ホーム
9:46 盛岡 着
はやぶさ号に連結してからこまち号のドアが開くので連結の様子は見れず。
盛岡駅に到着するまでに3度ほど停車がありました。
そしてあっという間の4,100円。
車窓が座席に座っている時よりも楽しめたので、デッキの立ちは結果的に良かったかなと思いました。
ちょうど9:56発のはやぶさ新青森行きが出るというのでやって来ました。
せっかくの4,100円、とことん無駄にはしません。
▲盛岡駅正面
……ふぅ。。あぶねぇ。
盛岡になんとかたどり着いた(不法到着)。
そんな不法入国した私を、盛岡は冷麺で迎えてくれました。
この日もとんでもない暑さ。すいかがとてもおいしい。
???「……4,100円も課金したのに冷麺に課金する金がまだあるのか。
「……
▲盛岡駅在来線ホーム
そろそろ盛岡に殺られそうなので早く先へ進みます。
おかげてここから計画通りの行程に復活です。
▲かつて使われていたであろう長いホーム
国鉄時代の客車急行列車や客車寝台特急が停車するのにこの長いホームは役立っていたのでしょう。
盛岡の栄光と衰退の歴史を知りたくなりました。
▲各方面への時刻表。東北新幹線開業に合わせて第3セクター化した「いわて銀河鉄道線」も載っている。
ホームには時刻表がありました。
東北本線はもちろん、花輪線や山田線もまあまあの本数はあるようですね(北海道基準)。
(でも山田線の日中2本は快速列車、おまけにすべての列車が終点の宮古まで行くとは限らないとなると……前言撤回、これは北海道クオリティだな。
▲2両編成の山田線快速リアス
▲長いホームに2両の列車がポツン。シュールというか少し寂しい。
盛岡 11:05 発 山田線 快速リアス 宮古行き
▲車内の様子
列車は、ボックス席とロングシートの混合バージョン。
▲ボックス席にはテーブルが付いていた
しかもボックス席はテーブル付き。
ドリンクホルダー(?)も。
これは便利。
▲「岩手県雫石」産の小岩井牛乳
そして旅といえばパンと牛乳ですよね。
これらは日持ちしない食品であることから、地産地消の傾向が強い食品です。
つまり、これらは旅で頂くのにはうってつけということですね。
ほんとは小岩井でなくもっとローカルな企業の牛乳があれば良かったのですが見つからず。
なんなら地元のパンも見当たらず。
日本全国どこに行っても同じパンが食べられる。
便利な世の中になりましたね。
▲山田線でいただくお昼。コーヒーは昨日からの持ち越し(1日くらい大丈夫、タブン、、)。
山田線はずっと山の中。途中川沿いに進み、渓谷の絶景が垣間見えたりしました。
途中大雨に見舞われましたがちょうど電車内でしたので運が良かった(^^)
▲宮古駅1番線
13:11 宮古 着
▲宮古駅の正面
降りて開口一番「雨降ってない!!」
▲宮古駅前のロータリー
駅前はなかなか立派でした。
バスターミナルも完備されていて、高速バスの発着本数がすごかったです。
どれどれ行き先は……盛岡釜石。。
……うん、JR要らな(ry
▲宮古市役所
その後自転車を無料で貸し出してくれる駅前の観光案内所へ向かいました。
「雨大丈夫??」と心配された直後に大雨。。
それでも振り切って(びちょびちょになって)借りてきたらやみました!!(借りてよかった~)
やってきたのは宮古市役所。
「全国のあたたかい支援ありがとうございます」の文字が。
その下には「津波到達地点」もあります。
いかに高い津波だったか、そしていかに大きな災害であったかを「実感」できます。
▲自転車で階段を登った
ここで突然の3コマ漫画。
▲不通の宮古〜釜石間。レールだけが残る。
橋の上までやってきました。
宮古市街を一望。
そして不通区間の線路も残されたまま手付かず状態。
復旧する日は来るのでしょうか??
(さすがのJR東も厳しいかもしれませんね。)
手付かずの不通区間の線路と、車で賑わいその線路と平行する道路2本との対比が、この区間の復旧の困難さを物語っているように感じます。
▲宮古郵便局
公共の建物はもちろん、電柱などの様々な建物にもこの看板がありました。
どんどん貼って、この震災を忘れないように、そして来た人、後世にしっかりと語り継いでいって欲しいと思います。
▲宮古駅に帰ってきた
約30分のサイクリング。
とても濃い30分でした。
次はもっと時間をとって宮古市街を見て回りたいものです。
▲三陸鉄道リアス線2019年3月23日開業
そうそう!
震災で不通だった三陸鉄道が2019年3月23日で復活するそうです!(訪問日:2018年8月24日)
「鉄道での復旧を」という地元からの熱烈な希望により8年越しの再開とのこと。
震災により人口流出に拍車がかかる中、(再開までの道のりも大変ではあったと思いますが)再開後の経営がより一層大変になると思います。
三陸鉄道には是非頑張ってもらいたいですね👍
▲岩泉のむヨーグルト。乳製品は旅の定番。
さて、足を進めましょう。
ここからは山田線の不通区間を路線バスで走破します。
……え、代行バスじゃないのかだって??
これから乗る宮古→釜石間の不通区間は、代行バスが走っていません。
理由は路線バスが走っているから。
地元の人にとってはなんの問題もありませんね(不通区間の駅を通るように路線バスもルートを若干変えたりと配慮があったようですが)。
ただ「北東パス」トラベラーとしては、路線バスに乗るということは「課金する」ということであって。
代行バスだと北東パスで乗れるんでしょうけど、こればっかりは仕方のないことです。
公共交通機関は地元の人の利益を最優先にして欲しいものです。
(でも18切符系の切符で乗れるようになったら宮古や釜石に訪れる観光客もたくさん増えるだろうに、と思うのは私だけでしょうか??)
現に、宮古駅までは18キッパーが何人かいましたがこのバスに乗った人は誰もいませんでした。
▲山田線沿いに整備されてる国道を突き進む
▲至る所で「工事中」の看板とショベルカーが。
日本で最大のリアス式海岸を左手に車窓を眺めていると不思議な(異様な)光景が飛び込んできます。
やけにショベルカーが多い、やけに新しそうな構造物が多いのです。
考えてみればすぐに分かりますが、この辺り一帯すべて東日本大震災の被災地です。
2018年の夏、あれから7年以上も経ったというのに。
何一つ「復興」が進んでいないように思えました。
ここに来るまで、ニュースなどでの復興特集や政治家をはじめとした復興アピール等を見ていたからか、もっと復興が進んでいるものだと思っていました。
さすがに7年経ってるし新たに街も発展し始めているだろうと。
でも来てみたからこそ気づけたこと、知れたことがありました。
がれきの山、更地、がれきの山、トラックトラックトラック。。。
確かに当時に比べれば少しは復興は進んでいるでしょうし、新たに開発が始まりスタートラインを切っている地域もあるでしょう。
でもそんな地域は私のみた限りほんの一握り。
人口はどんどん流出しているでしょうし、復興・再開発をする人々がいないのでしょうか。
したとしても割に合わないとかなんとか。。
もともと過疎地域だった所もあるでしょう。
そのまま放置されてまるで時が止まったかのような場所ばかりでした。
今回の旅では、わざわざ「課金」してまでこの宮古→釜石間のバスに乗車できるよう計画し、(冒頭でも述べましたが)4,100円を課金してまでやって来た所でした。
7年も経ってしまいましたが、当時から「1度は東日本大震災の被災地の様子を生で見たい」との夢をようやく叶えることができました。
地震学や災害関係に興味のある私だからこその夢なのかもしれませんが、決して野次馬的な気持ちではなく、東日本大震災を経験した身として、そして日本人として、この震災を後世に語り継ぐためにも、激震地である宮城を訪れたい、そう思い続けていました。
▲道の駅やまだ
路線バスはここで降りて、釜石駅方面の別の路線バスに乗り換えます。
宮古駅から釜石駅までは1本の路線バスで繋がっていません(ありえん)。
▲周辺の地図案内
「山田町の区間は未開通です」と赤文字。
▲釜石駅方面行き路線バス
道の駅では約30分の待ち時間。
小さなレストランや、地元の野菜,海産物がたくさん売られていました。
魚もまるまる1匹!みたいな笑
▲釜石駅を目指す
では釜石駅を目指しましょう。
路線バスは道の駅が始発です。
そして前面展望を楽しめる席を確保!
そしてそして乗客は私含め2人。
もう1人のおじいちゃんは2,3つ目のバス停で降りてしまいました。
バスは山がちの県道?を進んでいきます。
時々海岸線が見下ろせ、ショベルカーや仮設の建物がずらーっと並ぶ光景が広がっていました。
山を抜けるとだんだん住宅地が見えてきて、乗客もだんだんと増えていきます。
住宅地はどこも真新しい家が立ち並び、なんならみんな同じ形の家。区画も京都や札幌のような碁盤の目が多く、もはやシムシティのゲーム内かと思うくらい。
大きなモールがあり、そこに行けば食糧品や日用品がすべて買い揃い、バスの乗客はそこで大きく入れ替わる。
そしてバスは右へ左へと何度も曲がり、まるですべての住宅地(集落)を通るように。
……このあたりの住民にとって、この路線バスは欠かせない存在なのだと感じました。
▲釜石駅前バス停
そしてようやく釜石駅に到着。
バスは立ち席が出るほどの混み具合というのに降りたのは私だけ。
……え、ここ釜石駅だよね??
みんな降りないの??え、みんなどこいくの??
▲釜石駅。オシャレなデザイン。
釜石駅は釜石市の中心にあるわけではなく、少し離れたところにあります。
つまり、ホントに駅に用があるやつしかここでは降りないということ。
……みんな、列車使わないんだね。。。
▲ラグビーワールドカップ釜石開催
2019年のラグビーワールドカップ日本大会の2試合が釜石で開催されるそうです。
釜石といえばラグビーの街。
この釜石で世界最高峰のラグビーが見られるのは、他の地域で(例えば東京で)やるのと意味が違います。
東日本大震災からの復興を懸命に頑張っている釜石の姿を世界に発信し、そして何より釜石の復興の象徴・シンボルとなり得るでしょう。
私も高校3年間ラグビーをした身として、とても感慨深いものがあります。
いまから楽しみでなりません。
'19.10.追記)釜石でのラグビーワールドカップ2日目(ナミビアvsカナダ)の試合が台風19号の影響で中止になりました。
台風が通過する前日なら、そして台風通過後の翌日ならもしかしたら開催できたかも、、と思うほど、試合日「ドンピシャ」にやってきた史上最強の台風。
釜石は、そして日本は自然災害がやはり多いということを世界に改めて知れ渡った日になりました。
東日本大震災からの復興をテーマにしていたラグビーワールドカップ釜石開催だけに、台風による中止という結果はあまりにつらく、残酷なものでした。(鵜住居復興スタジアムも作ったというのに……)
それでも世界からのたくさんの温かいメッセージやエピソード、そしてナミビアとカナダの選手たちが街の(台風からの)復興を手伝ってくれたりと、とても素晴らしいニュースが日本中を駆け巡りました(私はそれらのニュースを見るたび号泣してました)。
試合は中止になってしまいましたが、釜石で開催して良かったと誰もが心から思える、そんなラグビーワールドカップだったんじゃないかなと思っています。
いつかナミビアとカナダの親善試合が鵜住居復興スタジアムで実現されることを夢みています。
▲釜石駅改札前
こじんまりとした駅待合室。
▲釜石駅前
列車の発車まで時間があります。
釜石観光と行きましょう‼︎
駅前に駐車場が整備されているのは当然ですね。
この辺りは宮古ほどの津波は来ていないのですね。どうしてでしょうか。
▲
▲釜石市街を一望(?)
近くに釜石公園?という高台があったので登ってみることにしました。
眺めはまあまあ笑(文句を言うな‼︎)
ここから太平洋が望めました。
この辺りはいわゆるリアス式海岸であり、海岸線が複雑に入り組んでいます。
宮古は太平洋が目の前に大きく広がっていた様子が見えた一方、釜石は海岸線が両側に伸びていて、太平洋パノラマというわけではありませんでした。
地図で見たら一目瞭然ですね。
この地形と立地のおかげで、釜石の津波は宮古ほどは到達しなかったのでしょう。
▲釜石駅3,4番線ホーム(意味被ってる?)
帰ってきました()
それにしても釜石線のダイヤ大丈夫か……少なすぎる気がするんだが(あ、北海道よりましk(ry
▲釜石駅の様子。
たくさん釜石を堪能しました。
しばらく海とはお別れです(また会いますけどね)。
▲釜石駅とおやつ
とても久しぶりの列車です。
釜石駅前のローソンでおやつを購入。
三陸わかめおにぎりとラガーパン(なんとかしてご当地にしたかった)。
17:47発 盛岡行き
▲釜石駅出発直後
▲陸中大橋駅
駅名標がおしゃれ。
▲花巻駅
19:49 花巻 着
そして日が落ち。
花巻駅へやってきました。
▲乗ってきた列車のお見送り
列車は東北本線へ直通し、下り方面は盛岡まで向かうそう。……こんなボロ電で大変だ。
▲花巻駅の外の様子
乗り換えのために降りた花巻駅ですが、せっかくなので改札外へ。
18切符でなく北東パスなので、自動改札が使えます。
はじめての北東パスですが、「時間ないのに有人改札混んでて困る〜」ってことがないのは本当に助かります。
▲花巻駅の改札
▲花巻駅の時刻表
東北本線は1時間に1,2本は走っているようですね。
さすが大動脈、でも物足りなく感じるくらい。
▲花巻駅2番線
20:06 発 一ノ関行き
夜も暗くて写真は撮っていません(何をしてるんだ)。
利用者の2,3割は地元の高校生のようでした。
部活帰りだろうな。東北地方の夏休みはいつまでなんでしょう。※今日は8月24日
そしてあっという間に一ノ関に到着。
一ノ関と言えば、もうお馴染みになった「ピカチュウ」です。
▲ポケモントレインの看板
ここ一ノ関は2年前にも訪れたことがあります。
その時は18切符でした。
ピカチュウのお出迎えといい、駅の雰囲気といい、2年前と何も変わらずとても懐かしく感じました。
▲8月24日「ようこそいちのせきへ」
そして2年前にもいた「でかピカチュウ」と一緒に写真を撮って今日は終了です。
(ピカチュウの右手‼︎
ここまででこの「18年東北旅」の半分の行程が終了しました。
……長いっ‼︎
(1)でも書きましたが、6日連続の旅は今回が初めてです。
もう3日で十分。もう新幹線で帰りたい。。
………なんて思ってるわけがありません。
「長い」のはこのblogの執筆の方です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次回もどうぞよろしくお願いします(^^